【バイク日本一周旅】南西諸島編(1~3日目)2月の寒空の下、南の島を目指して

スポンサーリンク

2014年の年末、私は学生最後の冬休みを迎えていたが、金も無く家でダラダラ、たまにバイトに出るという生活をしていた。
前回のバイク日本一周旅(東日本編)を終えて、これで日本一周という達成感を味わっていたが、とある日に日本地図を見ながら思った。まだ学生である間に、もう1回だけ旅をしたい…と。

しかし、私が学生であるのは来年の3月までで、この時期は北に行こうにも積雪があってバイクで行くことは困難だろう。そこで九州地方の地図を見て、最初の西日本の旅以来、2年ぶりの九州へ行こうと思った時、そういえばまだ一度も行ったことの無い県が一つだけあることを思い出した。それが南の楽園、沖縄県だった。

沖縄なんて飛行機で行く所だと思っていた私は、バイクなんかで行けるのかと思ったが、調べてみると東京、大阪、鹿児島それぞれの港から那覇行きのフェリーが運航しているようだ。
私は数時間の間地図を見て沖縄までの道のりを決め、その道のりを指でなぞった。
大阪から四国を横断して大分へ渡る。そして九州を縦断して鹿児島港まで行き、そこから幾つかの島をつたって未踏の地、沖縄に上陸するルートを導き出した。

最後の旅を実行することを決めたが、専門学校の冬休みは短く、すぐに年が明け、学校の授業が始まった。残された時間が少ない中、私は少しづつ、来る最後の旅と4月からの新生活に向けて準備を進めた。

【今回の装備品】

① 衣類 … ダウンジャケット1着にフリース素材のシャツ、保温シャツと冬装備を備えつつ、薄手のジャケットなど春の装いもできるようにした。
② 防寒着・雨具 … ユ○クロのダウンとパーカー、ネックウォーマー、雨具としてレインウェア上下セット、シューズカバーが1つ、折りたたみ傘、使い捨てカイロ
③ 手袋・靴 … バイク用ウインターグローブ(ゴアテックス素材)、アンダーグローブ、少し暖かい日用のネオプレン素材グローブ、靴類は登山靴と薄いスニーカー
④ キャンプ道具 … ロゴスのテントと初回の旅から使い続けている寝袋、動物や星でも見ようと思ったのか双眼鏡、家からかっぱらって来たお湯で調理できる食材。他は100均グッズが中心のランタン、フライパン、カップ、カス缶、簡易コンロ、防寒用アルミシート、バール、簡易イスにヘッドライトとブルーシートを調達して加えた。
⑤ 収納、バイク積載用品 … ゴムロープ、ネット、収納ポーチ、レインカバー、ナビ収納ポーチ(バイク車体に取付済)、バイク用品メーカー(ヘンリービギンズ)のシートに固定できるボストンバック、防水ザック
⑥ 電子機器類 … モバイルバッテリー×2、デジカメ、カメラホルダー、携帯電話等の充電用コード、USBメモリ
⑦ 地図、工具類 … タイヤのパンク修理キット、車載工具+α、ウェットシート、ノート・メモ帳、2年前に買ったツーリングマップル(2012年版)の中国四国版、九州版
※これまでの旅と大きくは変わっていないが、極力余計な荷物を減らしつつ、現地で快適に過ごせる装備を追加したつもりだ。

こうして、あっという間に2015年の1月が終わり、2月5日にバイク日本一周旅(南西諸島編)の旅程を確定させた。
学校の授業が終わるのが2月16日で、そこから約1週間であらゆる準備を全て済ませ、2月22日に自宅を出発する予定とした。学校の卒業式が3月20日にあるので、遅くともその前日までには旅を終えて自宅に戻る必要があるが、今回は約3週間、これまでで一番の長旅になりそうだ。

授業が終わってからは就職先の会社への書類提出、一人暮らしをすることとなる新居へ持っていく荷物の整理、不用品の処分など、勉強、仕事はしていないが忙しい一週間を過ごした。
今の私の所持金は不用になったゲーム、本などを売って得た約3万円を併せて20万円ほどとなった。今回の行先は南の島々。フェリーの乗り継ぎが多くて出費が多くなりそうだが、新生活1ヶ月間の生活費として5万円を手元に残すと考え、予算を15万円に設定した。

・2015年2月23日(月) – 1日目

ついに最後の旅へ出発の日を迎えた。計画ではこの前日に出発予定であったが、天候が悪く、荷物の積み込みだけ行って、予定より1日遅れでの出発となったのであった。
午前8時、これから未踏の地へと足を踏み入れることへの高揚感と胸の高鳴りを感じながら出発準備を行う。前回までの旅では荷造りに手間取り、いつも出発が遅れていたが今回は違う。前日に殆どの積み込みを終えていたため数分で準備が終わり、バイクのエンジンを始動。
こうして、また新しい旅が始まるのでした…

8時20分に出発。天気は薄曇りだが、気温は既に12℃と2月としては過ごしやすく快適な気候に助けられつつ、初日は一気に四国を横断して大分まで行く予定だ。
まずは徳島行きのフェリーに上陸するべく、大阪の自宅から和歌山港を目指す。

国道26号線に入り、南へ向かって走る。道路は割と空いていて、下道ゆっくり走行でも2時間かからずに和歌山港に到着。10時35分発のフェリー乗船券を購入した。

関西では有名な鉄道会社の南海電鉄が運行している南海フェリーに乗船。和歌山港と徳島港を約2時間で結んでいる。曇天で薄暗い空と海は先行きを少し不安にさせてくれるが、そんな光景を眺めながら、この先遥か遠くまでの旅程を考えたりしていれば、2時間なんてあっという間に過ぎていった。

12時45分、フェリーは定刻通り徳島港に到着。私は一切寄り道もせず、まずは九州の地を目指してひたすらに西へ駆け抜けた。
移動を始めて3時間、愛媛県新居浜市に入った頃には空を覆っていた分厚い雲が薄くなり、自宅を出発して初めて太陽の光が注ぎ始める。そして私は休憩もそこそこに、この光を原動力にしてさらに突き進んだ。

18時過ぎに日没を迎えてからは、昼間に15℃以上あった気温も急降下して半分以下の7℃まで下がった。ダウンジャケットを着込み、西の空に向かって夜間飛行で進むことさらに2時間。一日中走り続けた20時15分、大分県の佐賀関港行きのフェリーが出航する三崎港に到着した。
乗船券の購入後は、スムーズに20時30分発のフェリーにバイクごと乗り入れた。夜間ということもあって大型トラックでの乗船が殆どで、バイクは私1人だけのようだ。

トラックの運転手はドライバールームがあるためそちらへ流れ、船内はガラガラ。貸切に近い状態で開放感があって良い。時々外のデッキに出て愛媛、大分、遠くは山口県の明かりを見ることができたが、寒くなってすぐに室内に逃げ込んだ。

21時45分、フェリーは定刻通り佐賀関港に到着。こうして闇夜の中、私は西日本一周の旅以来2年ぶりの九州上陸を果たした。
もう夜も遅いが、今日の宿泊先に決めた別府のネットカフェに向けて、さらに1時間の夜間飛行を続けた。大分から別府までの国道10号線は片側3車線で、この時間でも多くの車がバンバン飛ばしている。私は一番左の車線をビビりながらゆっくりフラフラと走り、22時45分、無事に別府市内のネットカフェに到着。

【1日目移動距離・出費】
大阪(自宅)→和歌山港→徳島港→三崎港→佐賀関港→別府:385km
出費:4,822円
(ガソリン代:722、フェリー料金:4,100、※食費は家から持参のもので凌いだため0円)

・2015年2月24日(火) – 2日目

6時間の睡眠を確保して6時15分起床。軽く朝食を食べて、いつものごとく安価なネットカフェの8時間パックに収まる時間で出発。
今日の空もまた安定の曇りだが、未踏の地である沖縄へ近づくため、南の方向を目指して走り出した。

別府からは県道11号線(通称やまなみハイウェイ)を走行し、まずは熊本の阿蘇を目指した。2月、平日、曇天ということもあり、道路を走る車も皆無に近い状態で快走だ。急坂が続き、非力な125ccのバイクはアクセル全開でもたびたび失速し、老体のエンジンはうなり続けたが、順調な道のりで熊本県に入り、県道45号線(通称ミルクロード)を走行。
「ミルクロード」という名前の道は北海道にもあって、そっち(北海道)の道は牧場の牛さん達の真横を通るような道だったのを覚えている、熊本のミルクロードはなだらかな丘と草原地帯が広がっていて、牛さんは確認できなかったが、どちらのミルクロードも雄大な景色と大きな開放感を得られることは共通しているようだ。

山の上から阿蘇の街を望む。空を覆っていた雲がますます分厚くなってきたが、霞がかった低い位置にある雲が雲海みたいになっていて、少しだけ幻想的な風景を見せてくれた。
今、私が立っている「大観峯」という場所は、観光地阿蘇の中でも雄大な風景を拝むことのできる場所とあって人気スポットらしいのだが、車が数台止まっているだけで人の気配もなく、閑散としている。開放的なのは良いが、とにかく寒い。バイクの温度計を確認すると、2℃まで下がっている。曇天な上にこれだけ低温だと、いつ雪が降ってきてもおかしくない。冷えた体に気合を入れて再びバイクに跨り、山を下って阿蘇の市街地を目指した。

急坂、急カーブの国道212号線を走ると、阿蘇の市街地まで直ぐに降りることができた。麓では気温も7℃まで上がり、少しばかりは寒さもマシになったと思った時、もくもくと噴煙を上げる山が正面に見えてきた。どうやら、あれが阿蘇山のようだ。
進む方向の空を見つつスマホで天気予報を見ると、雨雲はかかっていなかった。寒いのは確定だが、あの噴煙を真近で見たい気持ちが勝り、再びワインディングロードを走って標高を上げた。

山頂に近づくにつれて、寒さよりも風が強くなっていることにビビり始めた。その風速は10m/sを軽くこえているだろう。火口付近までバイクで行くことができるが、最後の約1kmは有料道路になっている。バイク、小銭もろとも吹き飛ばされそうになりながら、小学生のお使いみたくポケットから100円玉を握り締め、料金所のおっちゃんに通行料金を支払った。お札なんかで支払おうものなら財布から出した瞬間に、いや、もしくは財布ごと大空の彼方へ飛んでいったことだろう…
「今日は風が強いから気をつけてな」と言われたが、もはや気をつけていても救いようがない。吹き荒れる爆風の中、自転車並みの速度でふらふらと進み、何とか火口付近の駐車場に到着した。

着いたものの、ここにバイクを停めようものなら、1分以内に転倒することは間違いないだろう。私は便所裏にバイクを乗りつけ、便所の壁にへばりつく様に駐車した。
火口の展望所まで歩くが、相変わらずの爆風はカメラを取り出すことすら危ういレベルだったが、それに負けず、なんとか数枚の写真を撮影した。噴煙を上げていたのは駐車場からは少し離れた所で、噴煙を真近で見ることは叶わず、台風並みの強風を体験した場所となったのであった。

気温も3℃まで下がっていて、体感温度はマイナス10℃近かっただろう。寒さの限界を突破して体温の低下も感じてきたので、僅かな滞在時間で阿蘇山の火口を後にした。
再び麓に降りた後は、南阿蘇村の小さな温泉施設で風呂に入った。体の冷えも回復したところで、国道325号線で九州の山中を駆け抜け、宮崎県に入る。気温は14℃まで上がったが、日差しが無いので、バイクで走り続けるとやっぱり体は冷えてくる。昼下がりの午後2時、国道沿いにローカルな定食屋を見つけたので、遅めの昼食にボリュームだっぷりのから揚げ定食を食らった。

温泉からの飯、もう1日が終わったような流れだが、明日の夕方にはいよいよ鹿児島港から南の島への旅立ちが待っている。それも考えると、今日は宮崎市内までは走りたい。再び山道を走り、日向夏で有名な宮崎県中部の日向市に入ったところで、本日初の大海原が視界に入る。

日向市の海沿いを走って、「馬ヶ背」と「クルスの海」という2つの景勝地を訪れた。この辺りは日向灘の荒波によって削られた荒々しい岩肌が削られ、切り立った断崖とその奥に広がる海を見ることができる。

「クルスの海」という場所は、日向灘の荒波に削られた岩肌の地形が、上から見ると偶然「叶」の字に見えることから、願いが叶うパワースポットになったそうだ。
まあ、確かにそう見えなくもないが、個人的には「斗」に見える。パワースポットらしいので、4月からの新生活の成功をこの海に願っておきましょう。

夕方、宮崎の海岸線を走る。宮崎県は南北に長~~~く、その長さはまるで東京~大阪を移動する時の静岡県のように感じた。国道10号線でひたすら南へ行くが、幹線道路は交通量が多い。そんな道に嫌気がさして、国道を外れてさらに海沿いの道を走った。
田園風景の中、直線が続く道の横に謎の高架が平行していた。鉄道っぽい?けど、すぐ隣にJR日豊本線の線路はある。しばらく走っていると、この高架には「リニア実験線」と書いてあった。調べてみると、現在品川駅~名古屋駅の間で建設が進んでいるリニア新幹線の研究施設として、1977年に開設されたもので、現在は運用を終了していて、太陽光発電のソーラーパネルが設置されているとのことだった。
過去の栄光だった施設なのかも知れない。そんな風景を心に刻みながら、少しずつ暗くなっていく宮崎の大地を疾走した。

18時半、宮崎の市街地に入りどっかで夕食を食べた後、いつものネットカフェに入った。キャンプ道具は積んでいたが、季節は2月。夜の寒さにビビり、今晩もまたネットカフェに逃げ込んだのであった…
今日は12時間パックを選択したので、時間には余裕がある。ゆっくりと明日からの旅の計画を練り直して夜更かし。24時の就寝となった。

【2日目移動距離・出費】
別府→阿蘇→日向→宮崎:349km
出費:3,400円
(ガソリン代:837、有料道路:20、宿泊費:1,243、食費:900、風呂:400)

・2015年2月25日(水) – 3日目

ネットカフェで朝食を食べ、7時に退店した。今日は朝から良く晴れていて、気分良く出発だ。
気温7℃。バイクで走っていると結構寒いが、快晴の青空の下、たっぷりと降り注ぐ南国宮崎の日差しを浴びれば、寒さなんて吹き飛ぶぜ。

日南フェニックスロードとも呼ばれる国道220号線で日南市の海岸線を快走。太平洋の大海原と沖合いに浮かぶ幾つもの島々を横目に、さらに南へと突き進む。
鹿児島へ向かうのに遠回りにはなるが、海沿いを貫く国道448号線に入り、長~い宮崎県の最南端にあたる都井岬を目指す。交通量はほとんど無くなって海岸線の絶景を独り占めだ。

都井岬へと続く県道36号線は有料道路ではないが、環境保護協力金として入り口のゲートで100円をしはらう。
ゲートを過ぎると、御崎馬という野生の馬が放牧されていて、彼らは草原の丘の上がスタンダードな生息場所だ。しかし、時には道路上に出てきてその馬群が車の進路を塞ぎ、最後に馬糞までぶちまけて去っていく、やんちゃなお馬さん達なのである。

草原と森が交互に広がる風景の中、都井岬灯台を目指して貫いていくこの道はまさしく絶景だったが、距離は短く、料金所のゲートから5分も走れば、終点の都井岬灯台に到着だ。
デッカい駐車場でだったが閑散としていて、従業員のものと思われる車が端っこに停まっているだけだ。営業はしているようなので、中に入り、突端を目指して少し歩いた。

入り口のゲートで入場料(確か200円)を支払い灯台へ。都井岬灯台は建物の上にあり、灯台自体はコンパクトだが、そこから見る宮崎、鹿児島の大地と太平洋の絶景は素晴らしいものであった。2月の晴天の下、少し肌寒い風を感じながら海と草原地帯を眺めた。

灯台から少し下った所にあるビジターセンターでは、都井岬周辺の歴史が紹介されていた。精巧に作られた馬のジオラマや昔使われていた灯台の一部などがされていて、中々面白い施設だったのを覚えている。
そんなところで昼になったので、ビジターセンター隣の「海洋荘」で昼食を食す。相変わらず誰も居ない店内で、贅沢にも新鮮な刺身を頂いたのであった。

都井岬を後にした昼下がりの午後、鹿児島県に入って大隅半島の中心、鹿屋市にある「鹿屋航空歴史資料館」を目指す。約70kmの距離であったが、郊外の空いている道で移動スピードは速く、1時間半で到着。
ここ鹿屋航空歴史資料館は、海上自衛隊鹿屋航空基地の敷地内にあり、零戦の実機を始めとする様々な航空機を見ることができる場所で、乗り物好きな私としては一度訪れてみたかった場所なのである。到着すると、早速ビンテージな航空機たちがお出迎えだ。

受付で氏名、住所を記入して館内へ。入場料は無料だ。
中に入ると、所狭しと航空機が展示されていて迫力ある光景が広がる。戦前のものから平成初期のものまで、幅広い年代の航空機がずらり。
この航空機たちにはそれぞれ歩んできた歴史があり、それぞれの役目を全うして今ここに保存されている。零戦もその多くが私がこれから訪れることになる南西諸島の地で散っていったのだ。そう思うと、壮大な歴史を感じずにはいられなかった。

史料館を一通り見学して外に出ると、そこは何だか別世界のように感じた。まるでタイムマシーンで過去から現在に戻ったかのような感覚に陥った。そのくらい、私は歴史の中に入り込んでいたのであろう。
午後3時、いつの間にか大空は分厚い雲に覆われていた。これから鹿児島新港へ移動していよいよ南西諸島への壮大な旅が始まる。私は心を躍らせながら、火山灰が降り積もる桜島の大地を疾走し、桜島フェリーで鹿児島市内へ渡った。

桜島フェリーの船内で名物?の立ち食いうどんを急いで食し、乗船時間は僅か15分で鹿児島港へ到着。これから乗船する「マルエーフェリー」の出航場所は少し離れているようなので、近くのコンビニで買出しを済ませてから出航場所へ向かい、乗船手続きを行った。

16時半、出発時間は18時であったが、もう乗船が開始されたようなので、意気揚々とバイクもろともフェリーに乗り込んだ。
このフェリーは那覇行きであるが、私は直接沖縄に行くのではなく、まずは奄美大島に上陸する。今回の旅は時間に余裕があるからだ。沖縄への道中は奄美大島で2泊3日、その少し南にある徳之島で1泊2日の滞在をして、沖縄本島の本部港に到達するのは5日後の夕方の予定。のんびりと島づたいの旅を満喫してゆきたいところだ。

南の島々への思いをはせながら、フェリーは定刻どおり18時ちょうどに鹿児島港を出航した。まだ外は明るい時間、すこしづつ遠ざかっていく鹿児島の街を眺めながら、肌寒いフェリーの展望デッキに一人、ベンチに座ってコンビニで買った飯を食べた。
日没を迎えると一気に暗くなった。錦江湾を南へ進むフェリーの右側からは鹿児島~指宿にかけての夜景が光輝いていて美しい光景であったのを覚えている。明日の到着は早い。大広間の雑魚寝部屋に戻り、シャワー室を利用して早い時間に就寝したのであった。

【3日目移動距離・出費】
宮崎→串間(都井岬)→鹿屋→鹿児島港:234km
出費:17,166円 ※累計:25,388円
(ガソリン代:729、フェリー料金(鹿児島港→名瀬港):11,690、有料道路:120、宿泊費:1,957、食費:2,170、その他:500)

バイク日本一周旅】南西諸島編(4~7日目)奄美大島から徳之島へ に続く…